夜の咽び
- ドラ
- 2015年8月19日
- 読了時間: 6分

歴史の古い街に住んでいますとね、様々な奇妙な話を聞くことが出来ます。
僕の住む街はお寺さんが多くて。小さな頃は一風景でしかなかったお寺さんですが、由縁をお聞きしますとね、そこには色々な物語が隠されているんですね。
中学時代の友人、榊君とこの間、遭いましてね。彼の話が面白かった。
「俺の隣の家のこと、覚えてる?」
僕の店で、彼は唐突にこう切り出しましてね。
何のことかわからずに、覚えていない、と答えますと、彼は笑いながら、話し始めました。
中学生時代、彼の家の隣には老夫婦が住んでいましてね。息子も娘もいないから、当然孫もいない。お隣は非常に静かなお宅だったんです。
実際は老夫婦、という年齢でもなかったんですがね。中学生の彼にしてみると、かなり老けて見えたようで、当時はご夫婦とも50代でしたね。
偶に家の前で会うと、挨拶を交わすだけの仲。珍しいんですよね、この下町風の町では。隣近所同士、ちょっとした行き来があるんですがね、この隣家に関しては、世間におおぴらには出来ない何かご事情があったらしいんです。どうやら、法律的なご夫婦ではなかったようでしてね。
とにかく、珍しいほどの静かなご近所関係でした。諍いがあるわけでもなく、助け合うわけでもない。静かに、静かに暮らしているんですね。
そんなお隣ですがね、中学時代の榊君にしてみると、凄く不思議なことがありましてね。
夜中のことですがね、榊君、当時何故かふと目が醒めてしまう事が何度かあった。
当時の榊君はプロ野球選手になりたいという夢がありましてね。その為、同じ中学生とは思えないほどハードなトレーニングカリキュラムをこなしていましたので、夕ご飯を食べた時点でぐったりだったそうです。熟睡して朝まで目が醒めない毎日なんですがね、極稀にですが、夜中に目が醒めちゃうそうです。
すると決まって、隣の家から声が聞こえる。彼の部屋は隣家に面してはいるんですがね、雨戸はしっかり閉まっていまして。声など漏れ聞こえそうにないんですよね。
どんな声かといいますとね、その声、決まって泣き声なんだそうです。自分と同じくらいの、中学生らしき女の子が、何時までも何時までも泣いている。切ないような、それでいて、何故か力一杯に泣くんだそうです。
前述しましたとおり、お隣は五十代のご夫婦。子供はいません。でも、女の子の泣き声が、何時止むとはなしに聞こえてくる。
榊君、ゾッとしましてね。そんな時は布団の中に潜り込み、耳を塞いで息を殺して、じっと我慢するんだそうです。
そういえば、中学時分、榊君はそんな幽霊話をしていたな、と思い出しましてね。懐かしいな、と思いつつ、今でも聞こえるか尋ねますとね、
「もう聞こえないなぁ。隣のおじいちゃん達も、どちらかが亡くなって、残った方はいまや老人ホームに入っているみたいでね。誰もいないはずなんだ」
と言ってました。
榊君の話が気になりましたので、後日、古地図で、今も彼が住んでいる家辺りを調べてみました。すると、やはり彼の家周辺には因縁があるようでしてね。
その古地図によれば、彼の家一帯はどうやら今は縮小してしまったお寺の境内の一部でした。
そのお寺こそ因縁深いところでしてね。江戸時代、大飢饉に見舞われて、多くの農民が江戸を目指しました。ところが江戸はそんな流民を受け入ることができず、大木戸を閉めて彼らを進入させなかった。その為に僕の街に流人が溢れ、多くは行き倒れたらしいんです。
飢えに苦しみ、渇望のまま悶絶する流民。それはそれで恨みが残り、化けて出ることもありましょう。ところが榊君の聞いた泣き声とは、何処か違う気がします。何故なら、彼が聞いたのは、確かに泣き声ではありますがね、力一杯泣いているんですよね。飢餓の中、命潰えた人達とは違う気がします。
そこで改めてそのお寺に関連する記述を探してみますとね、どうも無縁仏の墓碑があったらしい。その墓碑が今は何処かわからないんですがね。
無縁仏といえば、飢饉の際の流民のお弔いがそこでなされたのでしょうけれど、もうひとつ考えられる可能性がありましてね。そのお寺の門前には遊郭がありまして。つまり、世間と切り離された遊女さん達が亡くなった後は、墓があっても無縁仏にはなり易い。
榊君の聞いた少女の泣き声とは、これじゃないかな。つまり遊女が泣いていた声を聞いたんではないかな、と思う訳です。
後日、彼にそのことを伝えますとね、彼は何故かニヤリと笑った。そしてこう付け加えたのです。
「俺も実はあの泣き声、遊女のものじゃないかと思っていてね。だけど気がついたのはそれだけじゃないんだ。あの声がよく聞いていた当時は、俺は中学生。童貞だったからね。女を知らなかった」
何を言い出すかと黙って聞いていますとね、彼の推理はなかなかのものでしたよ。
「あの女の子の声、今から思い出すとね、悲しくて泣いているんじゃなかったみたいだよ。ほら、遊女、と聞くとね、悲しい身の上だと思うじゃない?だから悲しくて泣いてる、と思っちゃうんだけど、そうじゃないのかもしれない。
遊郭を、現代で言うキャバクラみたいなものだというと語弊があるかもしれないけどね、今だって、あのきらびやかな衣装を着てみたいから、キャバ嬢になる人多いよね。それと同じで、江戸時代は身分差別がある時代、貧乏な家に生まれた女の子も、綺麗なものに憧れたのかも知れないね。すると、遊女になるしかないのかも知れないよ。つまり、今の僕らは、遊女にはなりたくなくてもなってしまった人が多かった、と考えがちだけどさ。実は遊女になりたくてなった女の子もいたんじゃないかな。
更にはね、当時は娯楽が少ないからね。セックスは娯楽の極みだったでしょ?江戸時代は。
聞いた話だけど、セックスでの絶頂感は、男性の六倍、女性は感じるそうなんだってさ。と、いうことは、セックスが好きで遊女になった人もいるのかもしれないよ。
だからね、僕が聞いていたあの泣き声、今から考えるとセックスの時の女性の泣き声にそっくりだったんだ。悲しくて泣いている声じゃなかったんだよ。童貞だった俺には知る術もなかったから、ただ怖かった、と思い込んでいたけどね」
なんて言うんですよ。
つまり、彼が聞いた泣き声は、セックス中の女性の、極まった時の泣き声だった、と言うわけです。
「あの泣き声が何故聞こえたかも解るんだ。当時、お隣のばあちゃんはかなりスキモノだったらしい。ところが同居のじいさんは、EDだったそうだ。つまり、ばあちゃんは常に欲求不満でね。若い頃は浮気も出来たろうけど、老けてたからなぁ、相手も居ない。そんな欲求不満の思いが、あの遊女の幽霊を呼び出したんじゃないかなぁ?」
なるほど。だから、そのおばあちゃんが歳を取って、段々性的欲求も消えていったがために、隣に住む榊君の耳にあの泣き声が聞こえなくなったのかもしれませんね。
どうやら幽霊は、人が呼び出しちゃう時もあるのだな、と思いました。
かなり下世話な話にはなりましたがね、彼の推理は秀逸、と言わざるを得ないと、僕は思いますねぇ。
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