処刑場近くのプールで
- ドラ
- 2015年9月30日
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幽霊の声、って聞いたことがありますか?幽霊、って、何事か伝えようとするのだけれど、結局聞いてもわからないこと、って多くありませんか?
この話の発端である鈴が森の処刑場は有名ですが、実は現在、都内のいくつかの場所がかつて処刑場だったそうですね。つまり、処刑場は小塚原と鈴が森だけじゃなかった。二大処刑場は、江戸の都市機能がフル活動した以降の処刑場らしいんですね。江戸の忌まわしい名残を、東京が覆ってしまった、というわけなのですよ。
処刑場の近くに区民プールがありましてね。ここでよく、”拾っちゃう”ようです。何故ここが、とお思いになる方、多いと思います。江戸の昔、処刑場周辺は海でしてね。そこに処刑後の遺体を捨てていて、一時期は辺り一帯、腐臭に塗れていたそうで。つまり、海岸に打ち上げられちゃうんですね。
僕の弟が、この区民プールに、仲間と行ってきましてね。夕方頃、帰宅しました。
弟はその時、どこかぼんやりしていましてね。顔色が日焼けした、という感じではなく、土気色でした。
泳げばお腹が空くはずなんですがね、夕食が用意されているというのに、
「なんか疲れた・・・。ご飯はいいや。もう寝るよ・・・」
と、言い残して、さっさと二階に上がってしまいましてね。
そんな弟に違和感を感じた程度だったんですが、その訳はそれから三日後に解りました。
弟の部屋で彼は寝ていたんですが、僕の部屋は彼の隣です。壁一枚で仕切られている古い家でしてね。
夜半、隣のその弟の部屋から、声が聞こえてきましてね。
「クチュクチュクチュ・・・」
と、いう、耳に残る小さな話し声でして。何を言っているのか解らないんですが、人の声に聞こえました。
その、クチュクチュクチュ、という話し声のすぐ後に、
「うーん・・・うーん・・・」
と、うなされる声が聞こえるんですよ。
弟は当時、よく寝言を言っていましたんでね。ああ、また寝言を言っている、と思ったんですね、その時は。
「クチュクチュクチュ・・・」
「うーん・・・、うーん・・・」
「クチュクチュクチュ・・・」
「うーん・・・、うーん・・・」
まるで会話するかのように、クチュクチュとした囁き声とうなされる声がその後も続きましてね。いつ止むともなかったんですね。
そこで、弟が悪い夢でも見てうなされ続けているのもかわいそうだし、さりとて隣の部屋に行ってまで起こしてあげるのも面倒ですし。どうしようかな、と思いつつ、弟との部屋の境である壁を蹴りましてね。
ところが、蹴る度に、
「クチュクチュクチュ・・・」
という、奇妙な囁き声が続くんですよ。
壁を蹴る音の、
どーんッ!
という音の次に、呼応するかのように、
「クチュクチュクチュ・・・」
と、いう囁き声が続く。
三度ほど繰り返した後、夜中にもかかわらず、僕は隣の部屋に向かって怒鳴りましてね。
「おい!うなされてるぞ!目を覚ませ!」
と。叫びながら壁を蹴りました。
すると、囁き声が、
「シュルシュルシュル・・・」
という、壊れたテープレコーダーのような音に変わりましてね。そのすぐ後、
「ふうううううッ・・・」
という、深いため息とともに、弟の部屋は静かになりました。どうやら僕の呼びかけと壁蹴りに、ようやく弟は悪夢から解放されたんだろう、と思いました。
翌朝、弟は奇妙な行動に出ましたね。二階から自分の布団を階段に落とし、
「・・・しばらく一階の居間で寝る」
と、言い出しましてね。
昨晩、何時になくうなされていたのを聞いていましたからね、二階の自分の部屋では余程寝つきが悪かったんだろう、と思って、僕は放って置きました。
それから三日程してからかなぁ。弟が急に真面目腐って、こう持ちかけました。
「あ、兄貴は・・・兄貴はあの部屋で寝起きしていて、ヘンなことない?」
ないよ、と答えると、弟は強張った顔のまま、こんな話を始めました。
話は、弟が仲間とともに区民プールに行った時まで遡ります。
昼過ぎに区民プールに到着した弟達は、早速泳ぎ始めました。暑い日でしたので、区民プールは結構な混み様でしてね。
ところが夕方になり、日が傾き始めると、いつの間にかひとけは疎らになりましてね。弟の友人もさすがにそれに気がついて、もう上がるぞ、と弟に告げたそうです。
そこで弟は、というと、もうひと泳ぎとばかりに、水面に顔をつけた。クロールで水面をひと掻きすると、
「冷たいッ!」
と、子供の抗議の声がしたんですね。どうやら水面を掻いたら水を跳ね上げてしまい、子供に掛かってしまったか、と思ったそうです。そこで、慌てて謝ろうと顔を上げたんですがね、不思議なことに彼の周りには子供の姿はなかったんですね。
「妙なこともあるもんだ。空耳?それにしてははっきり聞こえたな?」
そう思った瞬間、弟はどっと疲れを覚えたそうでしてね。プールから上がるのも苦しいくらいに。
何時にない異常な疲れを覚えながら帰宅した弟は、そのまま自室の寝具の上に横たわり、眠りました。
ぐっすりと寝入っていた弟が、夜中に目を覚ましましてね。まだだるさが残っていて眠いのに、何故起きたんだろう?と訝りつつも、半身を起こしたその時でした。
弟の足の先には机がありましてね。その上に誰か座っているのが見えたんです。
そこで弟は思った。
(まったく、馬鹿兄貴め。寝ている自分を驚かそうとして、机の上に座っているんだな!今に、わっ、とか言いながら飛び掛ってくるんだろうな?)
当時は僕も悪戯が好きで、よく弟を驚かしていましたからね。弟にそう思われても不思議じゃなかった。
ところがところが。弟の机に座るその人物は、弟がいつまで待っても襲い掛かってこなかった。襲い掛かる代わりに、
「クチュクチュクチュ・・・」
という、意味不明の囁き声が聞こえてきたそうでしてね。その時の弟には、水面に口を付けて囁くような声に聞こえたんだそうです。
そこで弟はゾッとしたんですねぇ。その日の夕方、区民プールでの姿なき子供の声を思い出したんです。そこで、机の上に座る人物をよくよく見ると、やはり、弟の言う馬鹿兄貴(つまり僕ですなぁ)ではないんです。
明らかに身体の小さい子供が、机の上に体育座りをしているんです。脛から何から、全身真っ青でして。顔は伏せているので見えないのですが、両足の膝小僧に掛かる髪の毛も真っ青な色をしている。
その青い、体育座りしている子供が、突然弟に向かって囁き始めました。
「クチュクチュクチュ・・・」
何を言っているのか聞き取れないのですが、弟は直感しました。机の上に座るその子供は、弟に何かを囁こうとしている、と。
「うわわわッ!助けてッ!プールから憑いて来たッ!」
弟はそう叫んだつもりのですが、唸り声しか出せなかった。身体が硬直し、動くに動けなかった。いわゆる金縛りです。
青い子供は、何を伝えたいのか、幾度も幾度も囁くんですね。
「クチュクチュクチュ・・・」
と。
弟が言うには、そのうち壁の叩く音までして驚いたそうですが、それは僕が足で壁を蹴っていた音だと告げますと、少し安心したらしい。
弟はそんな中で、半ば気絶するように意識を失ったんですね。僕が弟のうなされ声に気遣って、怒鳴ったのは聞こえなかったらしい。
そんな訳で二階には寝られない、ということになったんですよ。
さすがに僕も恐いと思った。もし、もう一度水辺に行ったら、弟はそのまま引き込まれるんじゃないか?と思ったんです。何せ、プールから戻った弟の顔ときたら土気色でしたからね。まさに死人の顔だったものですから。
そこで、弟の言っていた、彼の机の上に、塩を持って清酒を掛けた皿を置いておきました。その青い子供が体育座りしていた箇所に、です。そして、弟はもとより僕自身も、弟の自室には一日、近づかなかった。
丁度一日経った昼間、その清酒を掛けた皿を見に行きました。すると、考えられないことがその皿には起こっていましてね。
白いはずの塩の部分が、なんと、煤を塗したかのように真っ黒になっていて、おまけに塩の塊がどろりと溶けていました。清酒を掛けた直後、一部の塩が固まってはいましたが、どろどろに溶けたのは異常だと思うんですよ。
すぐさま代わりの、塩山に清酒を掛けたものを用意して置いておきました。翌日は、さすがに真っ黒ではなかったけれど、白いはずの塩は茶色く染まっていました。翌日、また翌日と塩山を代えて行きますと、次第に茶色い色は薄れていくようです。
そうやって10日ほど繰り返していくと、段々茶色が抜けていき、最後の方は黄色になりましてね。二週間して、白いままの塩盛りになりましたので、なんとなくですが、
ああ、これで弟は安心だ。あの青い子供も、帰るべきところに帰ってくれた。
と、思いました。
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