親父殿の話
- ドラ
- 2015年8月4日
- 読了時間: 7分

僕の親父は頭が良くて、とある大企業の研究部長でした。化学屋でしてね、科学の信望者でしたね。凡そ再現性のないものは、この世に存在しない、という持論、信じていましたね。ですから、幽霊話なんて信じない、って、口癖のように言ってましたよ。
酒も飲まず、タバコもやめた、ストイックな親父でしたがね。厳格で、家に居れば機嫌のいいときはほとんどない。寡黙ではありましたが、優しい面もあったなぁ。まぁ、やくざな息子である僕に取っちゃあ、良すぎるほどの親父殿でした。僕が学生時代に亡くなってしまいましたがね。
科学の申し子ではありましたがね、親父殿、幽霊を見たことが何度かあったと言ってましてね。いくつか話してくれたその幽霊話、語り終わると必ず、こう結んでいましたよ。
「・・・あれは、きっと気のせいだ。今は説明がつかなくとも、この先きっと、科学で説明がつく現象なんだ」
って、ね。
その幽霊話で特に恐かったのがこの話です。
親父殿は若い頃、山登りが好きでしてね。冬山はやらない、をモットーにしていましたね。夏山はよく行っていた様で、特に谷川岳が好きだった。
そんな親父殿が、知り合いの保科さんと秩父山系に行きましてね。朝早くより登り始め、ちょうど昼頃に差し掛かった時でした。
現場は緩い斜面の、比較的楽な登山道。親父殿が先に立ち、若干体力のある保科さんが後ろについていた時でした。
「おかしいな・・・。いつもより重い、重く感じる・・・」
いつもは精力抜群の保科さんがですね、親父殿の後ろで珍しく根を上げ始めましてね。いえ、珍しく、どころか、彼が根を上げるなんてかつてなかったことでした。
親父殿が立ち止まり、保科さんの様子を窺いますとね、彼はもう大汗。今にも倒れこみそうなほど。顔も幾分か蒼褪めていた。
(保科らしくないな。きっと昨晩、夜更かしでもしたんだろう)
そう思った親父殿、保科さんと前後を入れ替えました。疲れた彼の後ろに続けば、保科さんが登山のペースを作ることになりますからね。保科さんのペースに合わせるために、親父殿は入れ替わった、という訳です。
ところが、ところが。保科さんと位置を入れ替わった途端、背負った装備がずっしりと重く感じたそうです。いつもの登山時の装備となんら変わりがないはずなんですがね、おかしいぞ、と思うほど背中が重い。足が重い。
気のせいだ、と思い、しばらくは我慢していたんですが、次第にキツくて堪らない。汗をびっしょり掻いて、ほんの三十分の間だそうですが、えらく体力を消耗したと感じたそうです。
また汗も健康的な汗じゃない。冷たいんですよ。かいている大汗が。冷たい汗がどんどん身体を冷やしていくんですよ。
そこで前を歩く保科さんを窺うとですね、彼の体力は回復しているようなんですね。普段の溌剌とした彼に戻っている。保科さんとの距離がどんどん空いていくんですね。親父殿、そんなことは決して有り得ないのに、何故か、保科さんに置いて行かれるような気がしたそうです。
そこで親父殿、前を歩く保科さんに声を掛けた。
「保科、悪いがペースをもう少し落としてくれないか?身体が重くて、調子が凄く悪い」
親父殿は我慢強い人でしてね、弱音を吐くようなところは少なくとも息子の僕には見せなかった。その親父殿が友人にそう漏らしたんですから、よっぽどキツかったんでしょうねぇ。
すると保科さん、
「あれ?おお、すまんすまん。調子が戻ってきたんでついつい早足になった」
と、至極快活そうに言うんです。
先頭の保科さん、ペースを落とすのではなく、もう一度親父殿の後ろに付きましてね。再び前後入れ替えて歩き出しました。
親父殿が保科さんの前に来た途端、さっきの背中の重さは嘘のように軽くなったそうでして。異常なほどの大汗も引き、身体がにわかに温かくなった。
位置を入れ替えただけでこんなにも身体が軽くなるとは。なんとも理屈では考えにくいことが起きましたので、親父殿はいぶかること数度。体力も徐々に回復し、峠道を辿るのに余裕も出てきたんでしょう。
そこで何とはなしに、後方の保科さんの様子を耳で窺ってみましてね。すると、微かにですが、保科さんの呼吸が荒く聞こえたんだそうです。
何とも苦しげな様子のため、ふと、保科さんの居る後ろに、肩越しに振り返って見たそうです。
前のめりになり、下を向いたまま、息を荒げて歩く保科さん。先程の自分自身を見るようです。ですが、親父殿が眼を留めたのは、そんな保科さんの様子ばかりではなかったんです。
少し蒼褪めて見える保科さんの顔の両側。彼の両肩の辺りに、リュックの帯ではない、真っ青なモノが見えまして。それはどう見ても人の腕。保科さんの胸の辺りにその青い腕がだらりと下がり、彼が歩くたびにブランブランと揺れて見えます。
そればかりか、前屈みに腰を僅かに折った保科さんの胴の辺り。腰の両側から、これも真っ青で縦ストライプのズボン柄した足が二本、突き出て見えています。そう、まるで保科さんが誰かを負ぶっているような・・・。
親父殿が思い出したのは、先程の保科さんの後ろに付いていた時の背の重さでした。それはまるで人を背負っていたかのような重さであった、ということを思い出してしまったんです。
更には、異常なほどに噴き出した汗の冷たさ。それはまるで、死人の身体ですっかり冷え切ってしまった汗のようです。
保科さんは死人を負ぶっている。しかも自分も負ぶってしまった。そう考えた瞬間、親父殿は保科さんの元に駆け寄り、彼の腕を取りました。
そして、
「走れッ!」
と叫ぶなり、峠の登山道を駆け出しました。
訳も分からず、腕を捕られるままに保科さんも走り始めます。ですが、保科さんも、親父殿の血相変えた表情を見ている上、いつもの登山道とは違う何かに気付いています。親父殿に走る訳を尋ねないまま、必死に走りました。
息が切れるほど走り、親父殿は再び肩越しに、保科さんを振り返ります。親父殿はホッと胸を撫で下ろしました。何故なら、保科さんの肩にはもう、あの全身真っ青な死人の姿が見えなかったためです。
あの死人を振り切った。そう思ったそうですが、その後はしばらくの間、自分と、いぶかる保科さんの背を交互に見遣り続けなければ落ち着かなかったようでした。
下山して直ぐ、交番に行方不明者の確認を取ったところ、まだ届け出はなかったそうですね。
どうも幻だった、と思うには、あの背中にいた青い人は生々し過ぎた。親父殿は、幽霊を見ただなんて口が裂けても言えない、と思ったそうですが、報告はしたいと思いましてね。と、言うのも、格好からしてあの青い死人は同じ山男です。親父殿や保科さんに負ぶさってでも帰りたい、下山したい、という死人の思いは痛いほど解るわけです。
嘘はいけない、と思いつつも、こう警官に伝えました。青い男を背負った辺りの峠道を地図上、指で指し示しましてね、
「この峠道はぬかるみがあると滑落する危険があるんじゃないか。この辺りで事故があったのでは?」
と、報告したそうです。
ところがその警察官、首を傾げましてね。
「そのルートは良く知っています。だけどこんなところで失踪するとは思えないんだけどなぁ。比較的危険の少ない箇所ですからねぇ。あんなところで遭難者が出るはずもない。第一、捜索願さえ出ていないんだから。・・・アンタ、まるで遭難者を見てきたかのように言うねぇ?」
と、妙な勘繰りさえ始める始末。親父殿は慌てて誤魔化し、交番から逃げ出したそうです。
ここで親父殿、帰宅するわけですが、一月もしないうちに、それも偶然なのですが、新聞記事を目にしましてね。親父殿と保科さんが気味の悪い経験をした、あの峠道で、身元不明遺体が発見されたのです。
再びあの時のことを思い出してゾッとした訳なんですがね、追い討ちをかける事実がそこに書かれていましてね。その新聞記事には、発見された身元不明遺体の特徴が記されていました。記事によれば、その身元不明遺体の服装はやはり、ストライプ柄のズボンを履いていましてね。派手な柄で、特徴として記事にし易かったのでしょうね。
ただ、ストライプ柄は合っていても、色が違った様でしたね。新聞上では、茶系のストライプ柄だったそうですが、親父殿が見たのは青と白。死人の基本カラー、って、やはり青や白なんですかねぇ・・・。
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